この記事では、新海誠監督の最新作映画『天気の子』を観た上での考察・感想について書いていきます。
※この記事内容はネタバレになっていますので、まだ未鑑賞の方はご注意くださいませ。
ではどうぞよろしくお願いいたします。
あなたはもう、話題の映画『天気の子』を観に行きましたか?
私は公開してすぐに長女(6歳)とワクワクしながら観に行きました。
鑑賞時間があっという間に感じるぐらい、喜び・悲しみ・驚き・感動の連続でした。
特に、前作『君の名は』の主人公・瀧くんとヒロイン・三葉ちゃんが出てきたときは長女と目を見合わせて笑顔になりました。
過去作品の登場人物が出てくるのは、ファンとしてとても嬉しいものですよね。
新海誠監督の映画は『君の名は』が初めてでしたが、そこから新海誠ワールドのファンになりました。
いまはAmazon Primeで新海誠監督の過去作品も観ることができるので、そちらも観ています。
ではまず本題の結論から。
『普遍』については、帆高をはじめ、須賀・夏美・凪のみんなが陽菜ともう一度会いたい、一緒にいたいという行動に普遍の愛情を感じたから。
私のYouTube動画でもこの『変化と普遍』について話しています。ぜひ合わせてご覧くださいませ。
それではここから一つずつ順にお話していきます。
Contents
『変化』について

陽菜を助けたことで世界は再び雨が降り続く世界に
クライマックスで陽菜を取り戻したことで一時的に晴れていた世界は雨が降り続く世界に。
そして3年後、東京は大部分が海に沈んでいた。
須賀の事務所や冨美の一軒家は海に沈み、新しい場所での生活をしていた。
しかし須賀や冨美、そのほかの東京の人たちは新しい環境の変化に順応し、たくましく生きていた。
まずこのシーンは衝撃的でしたね。
東京都内が海に沈んでいることはもちろんですが、その環境が当たり前かのように人々が暮らしていることに。
人は本来、変化を嫌う生き物。新しく始めたことはなかなか習慣にならない。
しかし世界のあり方自体が変わり、それでも生きていこうとすれば、その環境に順応できるよう変化するしかない。
その光景を見るまでは、晴れた世界でそれまであった東京の姿が当たり前でこのまま続けていくべきものだと感じていた自分にとって、それは大きなインパクトを与えるとともに、納得もさせてくれました。
元々人類は度重なる変化に順応し生きてきたことを改めて感じさせられた
なぜなら人類は大昔からその時々の地球の環境に順応し、自分たちを変化させながら生き延びてきた。
それが今回の3年後の姿に凝縮されていると感じました。
もともと世界には固定のかたちがあるわけではなく、常に変化していくものなのだと。
『普遍』について

帆高をはじめとしたみんなが陽菜と一緒にいたいという思いが愛情としてあらわれていた
それは帆高が陽菜をなんとしても助けたいと願い、実現したことに現れている。
まわりは雨がやんだことと陽菜がいなくなった関連性は信じていなかった。
それは弟の凪でさえも。
でも、みんなが求めていた。陽菜と一緒にいたいと。
そして誰よりも帆高と陽菜のお互いが求めあっていた。
雨が降り続く世界になったとしても、世界のかたちやあり方を変えたととしても、それでも陽菜と一緒にいたい。
「何があってもこの子を守り抜く」という親が子を思う気持ちに似ていると感じた
何があっても大切な人と一緒にいたい、守ってあげたいと思うのは親や子を思う気持ちにも似ている。
6歳の長女と一緒に観に行って、より強く感じました。
そして帆高の思いに影響され、須賀も夏美も凪も帆高を助けた。それは帆高の思いをくみとっただけでなく、自分たちも陽菜とまた会いたいと心から願ったからだと感じました。
愛は普遍のもの。誰しもが持っているもので、誰かが誰かを愛することは普遍なのだと。
まとめ|『変化と普遍』という相反するものが共存した映画

変化と普遍。一見相反するものがこの『天気の子』という映画の中で共存した、ただ素晴らしいという言葉以上の意味がある映画だと感じました。
人は時代の変化に順応しながら生きていく。
そして人を愛することは普遍的なものであるということ。
私はこの『天気の子』という作品を長女と一緒に観たことで、改めて家族の絆や大切な人との絆や関係について考えるきっかけになりました。
映画が終わったあと、長女が「楽しかったねえ。陽菜ちゃんかわいかったねえ。ぬいぐるみをかぶった凪くんかわいかったねえ」と言ったのを聞いて、一緒に観に行って良かったと心から思いました。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
読めばもう一度観たくなる『天気の子』あらすじネタバレ結末と感想・評価